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2012年2月18日土曜日

Gumroadについてざれごと・たわごと・戯言

Gumroadについて、私は面白いサービスだと思っている。世間では色々言われているが、運営側よりも、利用者側のモラルが必要だと思う。「現金が動く、デジタルデータをユーザー間で取引出来る場をウェブ上に提供した」という偉業。しかし、彼らはわたしたちに畑を提供して、「何を実らせるかは君たちの自由だよ」と問われている感じもする。

『ユーザーの代行サービス』となれば運営の質が問われるけれど、これは『ユーザー間同士のサービス』であるから、ユーザーの質が問われることになる。そして、『デジタルデータ』を取り扱えることが最大の武器であり、致命的な隙でもある。

※参考
gumroad(日本公式)
誰でもデータを直販できるGumroad入門。クリエイターの生活は変わる?(fladdict)
Twitterでも話題の「Gumroad」を試してみたけどこれは夢が広がるね!(crocodile notebook)

運営よりも利用者に問われる質

注意喚起で利用規約を設けようとも、結局の所は「守る利用者と守らない利用者」、「読む利用者と読まない利用者」がいるわけで、どの運営も「悪用するな」とは注意している。利用者の好意と悪意の割合が「7:3」なら良い運営だと思うし、「5:5」なら危うい運営だと思うし、「3:7」なら悪い運営だと思う。じゃあ善が「10」になればどうかというと、善悪どちらかしかない世界なんて、どちらに転んでも衰退して滅ぶと思う。

Gumroadに関しては、まだこの割合を考える域まで達してもいない。運営も利用者もどうするべきか、方針を模索している状態にある。Pinterestから発想を得たこのサービス。それは、Pinterestでボードに流れるPin(画像)は言わば個人の作品であり、これを売買出来ないか? と考えたから始まったのかもしれない。現実でいうと、個人なら個展だろうし、全体でならばフリーマーケットと呼ばれる。

個人のウェブオンリーのクリエイターが「待ってました!」と身を乗り上げたいサービスだが、商品としての相場を定着させるのも、また買わせるアピールも至難の技だろう。現状ではワンクリック詐欺に近い、購入側にとってはどうしても信頼性に欠ける状況となっている。Gumroadの現状では、相手の素性よりも、本当にこの値段で購入しても、それが本物以上のものであるかの判断が難しい。

商品を買うのにわざわざ取引相手を気にしていたら、ネット通販がここまで浸透していない。まず商品を見定めて、真贋を確認し、手に入れて気に入らなかったら…それから、相手を罵倒し始めるだろう?

なぜ流行ったのか

Gumroadと似たサービスは、数年前から模索している状況だっただろう。現在はこれを最大限活かせるインフラが整っているし、利用者が受け入れやすい環境になっていたのが大きい。
5年前に同様のサービスをしていても、ネット決済は今ほど便利じゃないし、光ファイバーはまだ世界的でもないし、ネット上での人々の繋がりも薄かった。10年前だろうが100年前だろうが、似たようなことはSFの世界でいくらでも考えれる。今回は時代が発想に追いついたケースだろうと思う。

twitterとfacebookがあれば登録できるし、投稿すれば自分のフィードに流れる。宣伝にはもちろん個人のリンクが重要となるが、それが少なくても攻略していくのが、ひとつの楽しみ方だろうと思う。登録などのハードルが低いのも受け入れられやすい理由だろう。
しかし、デジタルデータであれば制限がほとんどないことには、常につきまとう要素が流行に待ったをかけ始める。

つきまとう権利

データは作成も複製も出来る。著作権の侵害については、それを詳しく知らない人でも道徳的に理解している。
「他人の物を盗まない。他人の物を勝手に使わない。他人の人権を尊重する。他人の領域に勝手に踏み込まない」など、それらを侵害するのは犯罪行為である…ことは大抵の人が知っている。これは子供の頃から培われるもので、『モラル』としてあつかわれる問題だろう。

そういう行為が無くならないのは何故だろう。…単純に考えれば需要があるからだ。
CDやDVDはディスクが要らないからデータ化するし、TV録画はHDDが主流になっている。電子図書の方が便利だから、分解してスキャン(自炊)する人がいる…。これらは整理術の一つだが、データはネット回線を経由して、世界中どこでも繋がってさえいれば送受信が可能なのが難点だ。

不正行為の監視はわりにあわない仕事

ネットワークの検閲なんて、ログ(足跡)がいくら証拠として残ろうが、利用者全てを把握出来るほどISP側も人員をさけない。警察も「取り締まりを強化しろ」と言われても、7両編成のすし詰め列車に1人で乗り込んで、「この人物を探せ」と言われてるようなもの。

この問題を解決するには、1人に1人を監視につければいいだけの話。でも、人はそれを『プライバシーの侵害』といって嫌う。もちろんそれは私もお断りしたいが、ネット上での犯罪…というか、犯罪自体を撲滅するには、善人と悪人が「5:5」で存在して、それとは別に、ほぼ同数の中立が監視する必要があると思う。そして最後に残るのは1人の人間だ。世界に人間が1人だけならば、犯罪は成立しない。

善は悪の定義には線をひけるが、悪は善の定義自体が理解できない。逆に善は悪を何故するのかが理解できない。両方を理解出来るのは中立のみだろうけれど、運営には圧倒的に人員が足りない。FBに例えるなら、1人のSEOが7億全ての人を管理出来るわけがない。ネット上の取り締まりは、現実社会よりもきびしいことがわかると思う。

元々データ複製、そして流出を絶対に阻止する方法自体、存在することが難しい。暗号は解読出来なければ暗号ではなくなるし、これを阻止するならば、特定の端末から転送される際に、データが消滅するくらいでないと成立しない。それを実現するためには、世界中の端末と回線を単一規格に統一する必要があるだろう。…でも、そのシステムを作った人が存在することは、確実に抜け道が存在することと同じである。

暗雲を抜けるためのアイディアはあるのか

結局のところ、善と悪はいたちごっこなのだが、どちらが欠けても良い点、悪い点という「改善すべき問題点」は浮かびあがらない。今が大切な時期だと思う。ユーザー同士が議論して、より完璧なものに運営が組み上げていることを望んでいる。

著作権でもめるならば、権利をもっている人が売買に参加すべきだろう。そのほうが明らかに手っ取り早い。パッケージを捨て、データのみで割安に販売することを何でためらうのだろう。販売ルートを減らす方が、将来的にリスクは高いだろうに。

事業を拡大せずに雇用をふやすのは賢くない。それこそ、ウェブ上の著作権を監視するための団体を作り、警察と国が支援するのも雇用を拡大できる要因になる。でも、通報したからってお金が稼げるわけでもない。維持費と人件費がかさむだけだから、誰もやりたくないだけ。だから常に試されているのは、利用者の善意と中立の監視だと思う。

犯罪をなくすことはできなくても、少なくすることはできるはず。悪いことをしている人が居れば諭していくのが道理で、管理側はシステム維持と補強に専念して、よりよい居場所を提供していくべきだろう。ネットゲームはそうして成長してきた。gumroadが成功した暁には、「ネットの勧善懲悪ストーリー」として語られることになるかもしれない。

次々と生まれる同類のサービス

Ameroadがすぐさま登場して話題になったけれど、さらに新しく登場したサービスがこちら。

Facebookのユーザー同士でフリマができる「Whytelist」(ねとらぼ)

でもさすがに「これはひどい」としか言いようがない。フットワークが軽いのはいいところだと思うけれど、ソースコードそのまま使ったようにしか見えない。GUI自体が見ながら好きなのを選ぶのに向いているので、オークションもこんな感じで楽しめるレイアウトにして欲しいな。
こっちは詐欺や盗品とかで揉めないことを祈ろう。

まあでも、ウェブ上の個人間取引にはいつだってそういう問題がつきものだしね。マイナンバーを登録することが義務付けられれば、かなりこういう問題も減るだろうけど、匿名性と情報管理にひときわうるさい日本では当分受け入れられないだろうね。

著作権の観点での話が多いけれど、デジタルデータってことは、ウイルスを意図的に販売することも可能なんだよな。あくどいことを考えればいくらでも手は出てくるけれど、防災意識はネット上まで持ってきてもらいたいものです。特に日本の企業は。
 
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