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2011年12月21日水曜日

デジタルネイティヴ世代に渡すべきバトン


本 気 で 殴 り そ う に な っ た 情 弱 の 行 動 を読んで、たまに思っていたことがあったのでもそもそと書く。ちなみに自分が氷河期世代。

 パソコンが一般家庭に普及し、インターネット常時接続が当たり前になった時代から、一体どれだけ過ぎているのだろう。実は10年程前くらいで、ごく最近の出来事だったりする。実際ここ数年で情報技術は革新に次ぐ革新で進歩している。開発側が数年かけた技術も、世に出れば実に多種なユーザーによって試行され、さらにダメ押しで進化を遂げていく。

 この革新を実感しているのは、現在の20代以上の人達だと思う。現在の日本社会を支えている人間誰もが、”IT革命”という言葉は知っているだろう。そして、この層がアナログからデジタル化への環境の変化についていかねばならなかった世代である。
 デジタル化には、生活を便利にしようとする狙いがある。決められたアルゴリズムで動くコンピューターは、日々の生活の無駄を最小限に、そして効率的に算出するために、現在も進化を続けている。

 そして20代以下の人達は、生まれながらデジタル化した社会に触れてきている。もちろんPCを持ってない環境もあったりと個人差はあるだろうけれど、最も情報を飲み込める時期から触れている。それは、20代以上の世代に比べて大きなアドバンテージを持っていることになる。例えば私が10年で学んできたことを、始めの1年で要点だけ完璧に覚えるという感じだろう。
 ゆえに、デジタルネイティヴと呼ばれる。

 自分が始めてパソコンを触ったのが中学の授業の時だった。まだBASICで、点と線を描画したり動かしたりして喜ぶ時代だ。対して今の中学生はどうだろう。自分の頃より更に簡単に、画面にペンを走らせるだけで字や絵が描ける程に進んでいる時を過ごしている。


 私が思うことは、現在の義務教育を受けている10代が社会に出てきた時に、私達が彼等にとって使い易い環境に出来るのだろうか、という点。

 例えば履歴書。
 文字はボールペンで直筆で書くべきか、それともエクセルで枠から作成して印刷するべきだろうか。前者は最も一般的な意見であり、現在でも無難な対応。後者はPCを使う仕事では有利とされ、一般的にはあまり好まれないイメージが強い。
 どちらが楽かと言えば、エクセルで作成して印刷する方が楽。ましてや、履歴書のデータを送るだけで済むなら、1枚の紙が必要となくなり、環境保全にも繋がるはず。証明写真だって、デジタルカメラで撮影して、画像をエクセルに貼り付ければ済むことになる。

 教科書だって、全て画像データにおこして、1人1台のタブレット機を机に置くだけで見ることが可能な時代になっている。ノートだってスタイラスによって手書き入力し、色々な付加価値をつけて取ることが可能な時代になっている。現在だって、黒板を転写するのにデジカメを許可している学校もあるくらいだ。

 現在の技術でも、ほとんどのことがデジタル化に成功していて、アナログな紙媒体やペンなどが必要ではない程の時代にはなっている。

 そうなると、何故移行しないの? という疑問が浮かぶ。仮に紙やペンを作る必要がなくなった場合、それらを作っていた産業はどうなる? という難問にぶち当たる。新しい雇用の行き先は? 彼らの生活保障は? と、現在でも高い無職率に拍車がかかって、手のつけられない状況になる。簡素化を目指していたデジタル化は、実際に取り入れられると多種の産業を死に追いやることが可能だと気付く。
 しかし、それらを必要としていた企業はコストを削減出来ることができ、現在よりも潤うことが可能だろう。

 話を戻すと、例えば知らない土地にある友人の所に遊びにいくことになるとする。ここで世代別で相手の場所を知ろうとする方法に差が生じる。

 自分ならば、グーグルで友人から教えてもらった住所を検索し、グーグルマップを表示させ、その場所を印刷もしくは画像ファイルとして端末に保存する。またはカーナビがあれば、目的地の住所を入力してナビに任せるという方法もとれる。公共交通機関のみを使う場合でも、ルート検索すれば数種類のオススメ経路を教えてくれる。

 アナログ派ならば、広域地図や路線図を眺めて経路を自ら選択すると思う。電話で道を尋ねたり、近くの人に尋ねるという方法もある。自分はそうすることが嫌いではないし、自ら考えるという楽しみもある。
 自分はそこから学び、現在はクラウドサービスを使って、先の例のように経路を選択する方法へと変化していった。実際には、「ネットサービスの使い方なんて今更覚えたくねーよ。今までで充分」という人だっている。

 そういう人達との差異が、現在のIT革命に足止めをかけている。PCは必ずあるけれど、それを現在の技術レベルで活用出来る社会になるには、個人よりも国全体の理解がないと進まない。

 例に出したように、”デジタルデータを使って表現する人と、紙媒体や言葉によって表現する人との衝突”が今の世の中には多々あると思うんです。
 デジタルネイティヴ世代の子達は、自分達が思っているよりもずっと賢くアプリケーションを活用し、手間を最小限にする術を確立して我々の後をついてくる。彼等の要求に答えることは、もっと社会の仕組みを簡単に出来ることになると思う。
「今までこれでやってきたからそれはダメ」、本当にそれは最善の方法なのだろうか。そういう案があるならまずは試してみましょうよ、と言いたい場面は度々ある。でも頑なに上が突っぱねれば通らないのが、現代の社会である。

「全てデジタル化した方が、私達は最高のパフォーマンスを発揮出来る」そういわれる時代も10年20年先にはきっとやってくる。その時に自分は下の要求を受け入れ、同様のパフォーマンスを発揮出来るのだろうか。
 比較的すぐ先に待っているであろう転換期に、社会はどう対応するのかが、私の未来に対する楽しみです。


 まあ紙が全てデータ化すると、偽造が容易になりすぎるから、個人が作成したデータをどんな方法を持ってしても改ざん不可能なアプリでも開発されないと無理だろうなぁ。国民一人一人がタブレットを所持することが義務付けられれば、誰がその費用を負担するのかって話。
 利権…とはまた違うけれど、誰かが得をするけど、誰かが損をするのはかわいそうだから無理、というしがらみが足止めをしていると思う。

 現在の50代が定年退職を迎える頃に、日本社会の仕組みががらりと変わる予感がします。先人が築いた基盤は大事です。お互いの良い所だけを掬い取って、上手く共有出来る時代を迎えたいものです。

 
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