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2012年3月13日火曜日

あれから1年

 

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ネット上では東日本大震災の話題を聞くことが多かったこの頃ですが、日常会話では驚くほど聞かない話題でもあります。でも危機感が無いわけでもありません。むしろ自然の猛威に対する警鐘は、過去から現在まで多く語り継がれていることであるし、それに対して楽観するのは科学の業だとも思っています。

恐いものリストに「地震」「雷」「火事」「親父」が例えられています。その中でも「地震」と「雷」は苦手な自然現象です。地震はいつくるかが予測できないし、雷はどこに落ちるかがわからない。私は自然に対してはもっと臆病になるべきだと思っています。

堤防の上で釣りをしている時にでも、急に後ろから突風が来ればそれで落ちてしまいますしね。予測はできても、最後に自分を守るのは自分しか居ないと思っている。ゆるい避難訓練をするのは意味が無いともいわれますけれども、訓練をしないと見えてこない事実も潜んでいます。問題は想定する範囲だと思っています。

東南海の巨大地震はM8クラスといわれていますが、M9で来たらどうなるのかって話です。世界最大クラスの地震になる可能性だって捨てきれない。私は「ありえない」って言葉はすごく曖昧だと思っていて、確率を試算するだけで、起こる事象の存在を肯定しているだけとも受け取れます。

原発事故だって、絶対に無いとは言い切れない事態ではあったし、世界で見れば既に数件の事故は起きていた。絶対に無いレベルとは、人類が滅んでも安定稼働し続けるほどの機能が必要だと思っている。それこそ未来永劫、誰もいない地球でも、太陽の光が届かない場所でも明かりが見えるくらいのことが要求されるはず。いくらコンピューター制御を進めようが、最終的には人の手でメンテナンスをしなければいけない…。まだ現代技術はその程度の技術力しかない。

私としては原発をなくすことは反対です。もしもなくすのであれば、文化を100年前くらいに戻すべきじゃないでしょうか。24時間の店が当たり前に存在し、夜にはひときわ明るい国土として宇宙からみえる日本は、それから脱却するほどの心構えもありません。一日中会社を稼働するようになって数十年程度。暮らしは確かに豊かにはなっていますが、人々の不満は募るばかりです。安価で安定供給ができない発電効率の悪い技術を選んで、料金の値上げに反発するのもおかしな話です。東電の場合は企業損失の補填にあてるのが見え見えなんで反対ですけどね。

いつも不思議に思うことは、巨大台風が近づいているときにも、当たり前のように通常業務をしようとする所です。学校でさえ休むのに、一家を守るべき主を外に出すのはどうなのでしょうか。一日休業の経営損失を考えれば、無理やりにでも操業して1円でも生み出すのが道理ですけれど、明らかに生産性は落ちますし、人のモチベーションだって下がります。ましてや交通機関のマヒは当然のように話題にあがりますし、移動だって通常より時間がかかります。

そういう点を恐ろしく非効率だと思っています。風が強ければ飛行機だって電車だって運休するのは周知なのに、何故わざわざ出かけて運航会社に文句をいうのか。商談があったとしても一日ずらせばいいだけの話。タイの大洪水だって想定できない事態ではないし、何故そこに数々の企業が集中していて、生産に影響を与えたのか。そういう点に目をつけるべきだと思います。

学校を休みにするくらいなら、会社も社員の安全を考えるべきではないでしょうか。会社でコントロールできないのであれば、国が業務停止を行えば国民の安全確保にも繋がると思います。でもきっと、利益損失の補填を国に請求するのでしょうね。就業中に風で飛んできた何かで怪我をしたとして、その責任を取るくらいなら安いもんだと思いますけどね。

静岡県の防災費が昨年の2倍に膨れていて、今までも全国でも屈指の防災費をもらっていた県なのに、これ以上なにを強化するのかも疑問に思います。焼津の津波避難塔も、高さが10mくらいしかありません。他に高い建物など存在しないですし、それならば港にイオンでも誘致すれば同時に解決する問題だとも思う。

家に食料の備蓄をためていようが、家屋が倒壊して取り出せない状況を考えてないのだろうか。防災意識と想定というのは、常に不安を持ち続けるべきであり、「風化」という概念が存在しないほど日頃から訓練を行うべきである。自宅での日常の中ではもちろんのこと、仕事中であったり、旅行中であったり、常日頃から「もしも」の感覚を養うべきだと、私は常に思っている。

例えばPCに向かっている今現在に巨大地震が襲ってきたのであれば、きっと液晶モニタを倒さないように押さえていて、揺れが収まるまで命があればいいなぁと思っている。来てほしくないなぁと思う状況は、用を足しているときと風呂の時かな…。

 
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