私は麺をすすれない。やろうとするとボトムズみたいにむせる。
なので「ズゴォー」ってすすってる人が目の前にいると、「すげぇ……」って感じている。
あの音は正直苦手だが、調べてみると食べ物を食べる時にすすれる人は、ある意味『選ばれし者』ということがわかった。
麺をすする行為には、『より美味しく食べるため』という理由がある。
「江戸っ子の粋」だとか「伝統」だとか、そんなのはこの際気にしないことにする。
では何故『より美味しく食べれる』のだろうか。
「説明しよう! 麺と一緒に空気を吸い込み、口腔内に広がった香りを同時に楽しめるのだ!」
ということのようだ。
私がむせる理由が判った気がする。スープが気道を通ってしまうから、防衛本能でむせてしまうのだ。
つまりすすれる人は、麺とスープのみ食堂へ送り込みながら普通に息が吸えるってことになる。
なにそれすごい。
麺をすするのは『訓練しなければ出来ない』行為のようで、すすれる人はすすれない人より口腔内が発達している
──ということになるようだ。
これは「すするぜー? 超すするぜー?」って誇っていいんじゃないかな、と思う。
麺にスープを絡め、香りを同時に楽しむ……。それは訓練した人のみに許された行為。
すなわち、すすれる人はアスリートのように鍛えあげられた世界トップクラスの口腔内をしていると言っても過言ではないのかもしれない。
そもそも個人的には、食道と気道は隣接しているはずなのに、気道に食べ物が入らないように出来ている人体がすごい。
※でも食道が発達、もしくは衰退した子供は老人はすすれない。
地球規模で考えれば、『食事中に音を立てることがマナー違反』の国が多い。
私が麺をすすれないのは、なるべく音を立てないように食べることを心がけていたからというより、根付いた習慣となっていたからだろう。
反面教師としたのは家族での食事だった。
父親は豪快に麺をすするし、汁物も音を立てて食べるのだが、母親は麺をすすらないし静かに食べる。
どちらが上品で下品であるか、自分の選んだ作法は母親だった。
私は「すすりたい!」と思ったことがないからすすれない。ただそれだけのこと。
ひとりきりの環境でラーメンを食べる時には、試しに豪快にすすってみたりしている。
でも────