Loading...
2015年6月23日火曜日

「絶歌」を読んでみた

世間ではボロクソ批評が多い中、(密林レビューには草だが)まあそれも仕方のないことではあるけれど、いささか脊椎反射で物事を言っているのではないか?と感じる節もある。

『批判するにもまず知ることから』、…ということでページ数のわりに数日かかってようやく読み終えた。

事件当時の話は────正直、吐き気がして読むのが辛かった。

 


ざっくりいうと、「少年Aのこれまでをハルキストが代弁し、カウンターバーでマスターと沈みながら聞いている感じ」だった。

当人の書いた文であるかは定かではないが、少なくとも拙い文章ではなく、プロではないが決して下手なわけでもない文章が生の言葉とも受け取れるし、誰の影響を主に受けた文章なのかは読むとなんとなくわかる。

文から伝わってくるのは、言語にすることができない『現実性』であり、『心象風景』だった。

犯罪者の一人称で書かれた物語なんて数多にあるが、どれも所詮は「狂ったように書いているだけ」に終わってしまうほどの本物の狂気が伝わってくるし、現在に至るまでの過程の中で、「やっぱりズレているな」と思う節もある所に不気味さを感じる。

事件の概要を知ると知らないとでは、この本を読んだ感想も変わるのではないかなと思う。

つまらなくて読むのが辛い本に出会ったことはあるが、本気で吐き気がする本に出会ったのははじめてだった。

 

●神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)

事件当時、自分はまだ高校生くらいで、それはもう報道もTVでガンガンやっていたし、未だに嫌でも覚えている事件の一つである。

当書籍が発刊されるにあたり、私は少なからず興味を持った──だからこうして手にとったわけである。

その理由としては、「どうしようもなく常人には理解し難い殺人衝動から実行に移すまでの心理を合理的に読み取れるから」だった。

ベストセラーになったのは事件の話題性やメディアが騒いだだけではなく、そういう点もあったのではないかと思っている。

現代の20代半ばから上の人は誰でも知っているくらいの事件であったし、何故彼は殺人を犯したのかは様々な考察・憶測が世に流れているが、本当の答えを知っているのは事件を解決に導いた警察でもなく、精神鑑定をした医師でもないし、判決を下した裁判官でもないし、ましてや肉親達でもない。

少年Aしか到達することができない心の中身を知ることができる…、それだけでもこの著書は、犯罪者の更生過程を記録または知ることができる資料としては重要な物であるとわかる。

遺族が著書を出すことはよくあるが、犯罪者が世にこうして自身のことを話すのは日本では稀有なことだろう。

ボロクソ言って読まずして貶すことは簡単であるが、それではただのヘイトスピーチにしかならない。

そうやって世間の下で騒がれることによって崩壊する日常は、加害者だけでなく被害者にも当てはまることだろう…、「イジメは無くそう!」とキレイ事をいっても、大体そう言う人間こそがイジメの原因を理解できないものだ。

 

少年Aの物語は生を受けてから、事件当時──逮捕されるまでを前半に構成している。

時系列からすれば至極当たり前なのだが、この部分を読むのはかなりきつく、結構耐性があるであろう自分でもギブアップしたいほど、その文から映像をイメージする行為が恐ろしく、吐き気も覚えた。

それだけ犯行当時の彼は逸脱していた…としかいいようがない。

そして少年院から出所、家族とも別れ、一人暮らしで定職に着き、そして現在までの話で終えている。

多くの人にはこの部分を読んでほしいと願う。

現代社会に敷かれた暗黙の序列下層でもがく姿は空想でもよくある光景だが、再び犯罪を犯すことなく、社会から真の自分を抹消され、それでも抗えない記録と向き合い、「生きよう」と──成人を過ぎた少年から青年へと成長していきつつ贖罪を探求する人物がそこにいた。

この過程はどんな小説でも真似することができないリアルさを孕めている。

『事実は小説よりも奇なり』、この書籍を一言で表すなら、これほどしっくり来ることわざはないかもしれない。

 

私は最後まで読んで、この物語は彼の遺書のように感じた。

どこまでも逃げられない過去の自分である少年Aと決別するためなのか、それとも重大犯罪者が生きることが難しい社会に絶望したのか。

書籍タイトルから伝わる悲壮感と、世に出すことで再び確実に追い詰められる自分を想像し、過去に存在した許されない衝動と向き合いながら、彼はどのような姿で筆を走らせていたのだろうか。

普通の物書きには到達できない作品を生み出し、常人にも理解しがたい自身を裸にして世間に公開する──読む側としても、ページ数のわりにこれほど体力を奪われる作品もはじめてだった。

遺族に事前承諾無しで出版したことは褒められたことではないが、承諾を得ようとしていれば決して世に出なかった作品でもあっただろう。

私はこの本が出版されたことについては少なからず、「良かった」と思っている。

重大犯罪を犯したひとりの少年がここにひとり、再犯することなく罪の意識を認めて生きていること…、過去がどうであれ、今そこにいる人は、働くことで賃金を得て生きている社会人のひとりに違いない。

 

好気の目で蔑むことしかできず、自身の価値観を押し付け、「殺人者」と罵り他人を知ろうとしない方は読まない方がいい。

一度は道を踏み外した人間がどのように更生できたのか、彼が再びこちらに戻れたのは、決してそういう人間ばかりではなかったはず──、犯罪者に携わる人達の尽力な誠意が彼らを救い、重荷を背負いつつも終わりのない贖罪への道を示しているのだと。

それは100%ではないが、50%より少ないわけでもない。

本著の最後には、被害者家族への言葉が書かれていて、文面で表せる最大限の謝罪が含まれている。

もはや互い(被害者・加害者)に何をもってして『贖罪』とみなすのか、多分誰にも答えはわからないだろう。

深い絶望から立ち上がろうとする力は、およそ第三者が軽々しく言葉で比喩できない、不可侵であり理解され難くもある…、すなわち当事者達でしかわからないことであると感じる。

「かつて日本に存在していた、少年Aという人物の人生を垣間見た。──ただそれだけ」

私の感想としてはこれしか言えない、あとは自分で知ってもらうしかない。

 

 

 
TOP