『海水』と『淡水』は2大政党。そしてそれぞれ支持する党員が分かれており、魚種によって細分化されている様は、さながら選挙区のようなもの。
ひとえに『魚釣り』とは、各党が掲げるマニフェストのようなものかもしれない。
マナー・釣法・道具などなど様々な意見を耳にするが、「じゃあどれが最適なんでしょうか?」という問いには多方面からそれぞれの考えが導きだされるわけで、ある意味初心者殺しである。
人によって思想は違うし、何より物言わぬ魚相手では明確な答えなどは存在しないわけで、私としては「個人の自由」だと思っている。
いうなれば「事なかれ主義」なわけで、是か非かどちらの言い分もわかるけれど、とりあえず多数決な? てな感じに、民主主義の中でも中立に位置する思想を持っていると自覚している。
「貴方の考えはわかりました。…私の考えはこうなんですけど、その提案も魅力的なので取り上げてみようと思います(やるとはいってない)」というゲスな考えを持つのが私である。
釣りはスポーツか、娯楽か
自分にとって釣りは『娯楽』。魚を釣るというより、釣りをしている時間が好きなため、1人の場合はゆったりとできる場所を優先している。
ここでマナーの話になるが、『釣り人の間隔はどれだけ空ければいいのだろうか?』という問題がある。
餌党と疑似餌党ではこの感覚(または間隔)が違うわけで、釣法によっても変化する。
流す釣り(ウキ・ドリフト)の近くで固定の釣り(ぶっ込み・速巻き)をしていれば当然どちら側でも邪魔に感じるわけで、トラブルの要因になるのは互いを知らないに集約される。
陸で投げとルアーが仲悪いのと、船で餌とルアーが同船にならないのは、まあそういうこと。
個人的に「こんくらい空ければ無難じゃね?」と思う距離が15m以上。
釣果が挙がるとどこからともなく人が集まるわけで、この間隔を取るのが無理なレベルになってくる。ゆったりと釣りがしたい私はそこを選ばず、過疎っているであろう場所を選んでいる。
浜インする箇所がランダム仕様なのはそういう理由もあるわけで、起こりうるトラブルは未然に回避したいが故に、より「釣れるかわかんねぇ」場所に行くドMアングラーである。
隣との間隔が10m以内とか、例え釣り場にいる全員お友達でも『ただ正面投げるダケマシーン』はホント嫌。不毛な感じがパナイ。
これだけしか使わない!思考は嫌い
釣り人のコミュニティって派閥みたいなもので、党首がいてそれに賛同する党員によって構成されているイメージ。ある意味宗教じみてると感じるので、信者ともいえる。
ルアーが特に顕著のように感じるが、情報発信できる年代にビタコン嵌っているだけじゃないかと思っている。とはいえ、『これだから釣れた』という表現が多いのは確か。
テスター商法とでもいうのだろうか、fim◯を見ていると頭が痛くなるワンパ文章なわけで、誰が最初にあの文章構成を考えたのかを考察したいところだが…、なんとなく道具ありきのルアーフィッシングという構図になっている気がする。
サイトでもない限り、ルアーって「そこに居るであろう」と仮定して通すわけで、私としてはルアーで釣れる魚は全て「目の前にエサっぽいのが来たから思わず飛びついてしまった」という考え、ようするにリアクションバイトというやつである。
経験上、「ごちゃごちゃ考えず目の前にルアー通せばいい」が信条。餌も似たようなもので、ゲーム性というのはどっちも同じだと思う。
丁度いいタイミングでいいたいことが書いてありました。フックの話もさることながら、最後の文は自分の考えと同調するところもあり、共感できる部分。
正直な話、デメリット部分を浮き彫りにしている釣りブロガーってごく少数なんだよね。
どんな物にも悪い部分は必ずあるわけで、それに不満を多少なりとも感じなければ、それ以上の製品って生まれない。
前にバラシマスター記事を書いた時、経験したことを踏まえて──なので自信を持って書けた。トレブルフックで釣りあげた魚って、色んな人の写真見てればわかるけど、必ずといっていいほど法則性があるのです。
ということは、トレブルでも外れにくい掛かり方ってのがあるわけ──とまあこんな感じで、自分なりの最適解を求めていくのも楽しみ方の一つだと思う。
釣りにおける派閥の重要性
釣りは情報戦であり、これを手に入れるのに手っ取り早いのが仲間である(ゲス顔)。
『アウェイの洗礼』のように、情報無しで挑むのはプロでも難しいわけではあるが、おいしい思いができるのは先人であるのに違いはない。
釣り人って面白い思考で、釣れた場所は隠すが釣れたことは褒めてもらいたいツンデレ傾向が強い。
自分にとってはやりたい時にやれる釣りをしたいだけなので、『釣れてる情報』ってのは混雑回避のために必要なカードである。
まあ釣れた情報って聞いた時点で遅い部分もあるので、そこを予め予測しておいしい汁をすってトンズラしよう──が今年におけるテーマの一つ『時合いと習性の考察』である。
情報を精査すると色々と見えてくるのもあって、自分のも相まっておおよその見当はついてきた。
漁師にでもなるのかと思われそうだが、オフショア移行に必要なことでもあるし、考えることは好きなので特に苦ではない。
知識と情報だけではどうしようもないのが釣り。
「一生幸せになれる」趣味というのは「生涯賭しても答えがない」であるからこそではないかな。
釣れるのは確かに楽しい。これを使ったから釣れた…は確かに達成感がある。でも、それで釣れるからって、あと何年同じことやるつもりなの? と問うてみたい。
だから私は実績のあるワームは使わないようにしている。エコ観点もあるけれど、同じことやっててもつまらないのが最大の理由。──まあワームってかなり有利なんですよ。何故釣れるかっていうと、プラグやジグに比べて遅く巻けつつアクションが派手だから。
何事も経験なのですよ。同じこと続けてるんじゃただの”作業”なんじゃないかな。