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2012年1月21日土曜日

日本でもっとも静寂な公共の場所に感じる不思議


 図書館って不思議な場所だなと、行くたびに思います。
 電車などの公共の乗り物。講演会などで傍聴する側。学校の授業中などなど。特定の狭い空間を多人数で共有しあう場所って、一応マナーとして「他の人の迷惑にならないよう静かにする」というのが一般的だという認識が強い。でも、実際親しい者同士が居れば、話し声は少なからず聞こえてくるものです。

 ですが──図書館は不思議なんですよね。学生達が多くいる夕方でも、話し声なんか一切聞こえないんですよ。海外では話し合いの場として使っていたりと、こちらとは対照的なんですが、私はそれでもいいかな、とは思います。勉強するために使っているのならば、「教え合う」という対話をすることができる場所でもあるべきだと思うのです。

  だってそうでなくては、図書館で出会った男女が対話して、めくるめくラブストーリーが始まることが難しいじゃないですか。現状ではそれが明らかに難しい。現実にありそうなことなのに、実際見ると、現実ではありえないかもしれない環境ですから、それはやはり「架空なんだな」と現実を見てしまう瞬間です。

「読書に集中したい」「勉強に専念したい」という、雑音を省くための環境がここにはあります。でも私は、ページをめくる音すら響いているような環境は好きではありません。たとえカップルが横でイチャイチャして……

女「……はやくめくってよぅ」
男「あ~、じゃあ次の問題な」
女「え~…、めくるのは“そこ”じゃないよぉ…」
男「…え?」俺「え?」

ってなってようが……あぁ、それは滅するべきですね。げ、限度ってものはあります。

 静か過ぎる環境って苦手です。落ち着かないっていうか、何か雑音がある方が集中できる気がする。なので図書館での読書はしない方。固く座り心地の悪い木の椅子が苦手ってのもありますが、自宅で音楽聴きながら、座椅子とか、寝転がりながら読む方が好き。

  小数の意見を尊重する傾向が強い社会なので、この環境を形成する事のできたのは、他人に対する礼節や思いやりを重んじる日本人ならではでないでしょうか。

 電車内でケータイで話す。映画館では静かに視聴する。歩行者には道をゆずる。図書館では静かにする。それを否定した行動を取る人が目に付いて愚痴をこぼす。それを愚痴にできるのは、自分の世界における非日常を見たのと同義ではないだろうか。

 ありえない事、信じられない事を見て感じたのだから、その時あなたはノンフィクションの世界に入ったという貴重な体験をしていると思う。それを話すと少なからず、誰かは共感するでしょう? 対して日常って存在は、話としてはとても面白くない事なんですよ。それに気付いているから、誰も話そうとはしないんだろうなと思います。
 
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