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2012年1月17日火曜日

書くことないけど書くことに挑戦してみる

※23時30くらいから日付が変わるまでの時間制限付き

 そういえば、新聞で見た”小学生への携帯電話の使い方教室”の記事を読んで、『メールを送る前にもう一度相手を不快にさせる文ではないか確認すること』という感じの一文があった。

 メールって文面だけで、相手に自分の感情が伝わり難いのよね。なんだかんだで、メールでの、文字だけの会話って、すごく難しいことだと思う。文字だけで感情を伝えるのって、考えてみるとすごくまわりくどくて、そして伝わり難いことかと。

 電話なら声色とアクセントでニュアンスは簡単に伝わる。顔文字はあるけど、相手の顔が見えないそういう文は、深く考え込む人にとっては誤解を生む要素になりかねない。文体に感情が乗りやすい言語は、本当に難しいものだと思う。

 実際に自分が仲の良い人との会話をそのまま文に起してみるといいかもしれない。文字だけになると、笑っていた部分などが淡白になってしまうと思う。 淡々とした会話って表現するのに簡単なんですけどね。はしゃぎあってるとか、怒鳴りあってるとか、感情をあらわにしている時って、その表情とか仕草まで説明すると、とてもややこしい長い文になってしまう。
 だからアニメ調のラノベの文って、地味にすごいと思うんですよね。挿絵で表情を伝えれるし、登場人物の姿がわかるから、容易に想像し易い。

 まぁそれはさておいて…。大人が子供にメールの何を教えれるかといえば、大人の観点の誹謗中傷のラインですかね。私は子供のうちは自分を飾らせる、縛ることは好ましくないと思っています。人との会話でおのずと学んでいきますし、語学は義務教育で自然に学んでいく。その人がそういう人に成ったのは、周囲の環境による物が強いはず。そしてなんだかんだで、一番長い時間を過ごすのは親です。

 なので教員に責任転嫁をする親は嫌いですね。モンスターペアレンツと呼ばれています。でも事情で親と学校と共有する時間が逆転する場合もある。そこで個人を決めるのは、やっぱり当人の気持ちではないでしょうかね。自分がそれに近かったんですけども。

 メールの文に関しては、自分は3度くらいは推敲しています。2度だけでも長い文だと結構気になる箇所が出て来るし、3回が自分にとって一つの基準となっています。まあ年上に対する敬語の文体なんて、中学以降で学ぶことだし、ぬあああああああああああああ書ききれなかった(23:59)。

 よくわからんけど長文になっていた…。なんでだ…。ぬるぽだけでもいいのに。
 ちょっと訓練がてらですが、 時間制限かけると難しいものです。

 メールうんぬんの話は、その人がその文で相手を傷つけることが理解できなければ無意味だと思うんです。先ほどまで走り書きして、推敲なんてほとんど出来てませんが、今見ると結構足りなかったり、省けたりする部分が結構見つかる。でも自分で完璧だと思っていても、他の人が見ればおかしい部分はまだまだ出て来る。編集者がいるのはそのためもあります。

 なので先述のような教室って重要だと思います。子供を教育するのは、親でも教師でもなく、社会なんですよ。というかメールの文面なんて、なんだかんだで大人は見られたくないもののはずなのに、それを教えるってのもなんだか可笑しいですね。メールは会話の一部ですから、普段の会話を大人たちが少しずつ正していけばいいんじゃないですかね。十人十色という言葉があるし、一人に対して10人で教えればいいんですよ。教師と親だけでは、子供の感性は育たないと思います。

0:15 了
 
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